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槙の匠について

 

野迫川村に住む


野迫川の山

ここ(野迫川村)には、10年前に移住してきました。

きっかけは、高校を出て宮大工になるために10年間高野山で大工修行をしていた時に、休日のアルバイトで野迫川村で高野槙の苗を山に植える仕事を手伝っていたことでした。

宮大工修行を終えて大阪府や和歌山県の工務店で経験を積んだ後、和歌山市に拠点を構えて大工として独立しました。
しかしほどなく景気の波と自身の考えの甘さから経営が上手くいかなくなりました。
昼はうどん屋、夜は居酒屋、そして深夜2時から4時までは新聞配達と、アルバイトで生計を立てなければならなくなりました。
ただもうひたすら辛く自分の考えの甘さを悔やむ日々でしたが、3人の子どもと妻のために必死で働きました。

奥さん

寝る時間を削って働けども生活は一向に楽にならず、妻も産まれたばかりの子供を抱えながら、昼間のヘルパー仕事に夜の内職と生きるのが精いっぱいで他のことを考える余裕は全くありませんでした。

そんな折、高野山での修行当時にお世話になった野迫川村の山主さん(当時の野迫川村長さん)から、「大雪で倒れた山の槙の苗を起こしに来て欲しい。」と連絡をいただきました。

当時、アルバイトのみに頼る生活を続けていた私にとって、まさに地獄に仏のようなお話で、遠方(和歌山市から野迫川村までは片道2時間、帰りは渋滞で約2時間半)にも拘わらず、即決でお話を受けました。
長時間の通勤作業となりましたが、相変わらず居酒屋と新聞配達のアルバイトを掛け持ちしながら、自分自身を変えたいという思いで、槙山に通い続けました。

そんな生活が1年ぐらい続いた頃、知り合いの工務店から「社員として来て欲しい。」とお声を掛けていただきました。
安定した生活と家族のためにお世話になる決心をし、野迫川村の山主さんにお暇を告げるつもりで尋ねました。
山主さんは人を引き留めるような性格ではなくスパッと割り切る方だったので、理解していただけるだろうと考えていましたが、予想に反し「何とか山の仕事をし続けてくれないか、この槙山を君に任せたい。」と真剣なまなざしでおっしゃいました。

びっくりしました。
まさかそんなことを言われるとは夢にも思っていませんでした。

和歌山市内に住居を構え、家族のために安定した仕事を優先するつもりでいたのに、こんなにも自分を信用して頼ってくださるなんて・・・。

声を掛けてくださった工務店の社長さんに対しては、感謝の気持ちもあってお世話になるべきだとは解っているつもりでも、「槙の仕事をやりたい」と思う自分がありました。


しかし、どうしても最後に夢にかけてみたいという気持ちを押さえることができずに悩んでいると、苦労を掛けっぱなしの妻が「野迫川村に行きたいんやろ。」と後押ししてくれました。

涙が出ました。

妻への感謝の気持ちと「もうこれで我儘は最後にしよう」と心に誓い、野迫川村への移住を決めました。

「こんなポンコツの俺を拾ってくれてありがとうございました。」と、工務店の社長に泣いて詫び、お礼を伝えました。
あの時の感謝の気持ちは一生忘れません。

雨の日も風の日も泣きながら続けた新聞配達の日々から救ってくれた方々への感謝の気持ちが、今の「心のやる気スイッチ」をONにし続けてくれています。

このようなご縁で、野迫川村に住むようになり、更には旧池津川小学校の趣ある木造校舎を作業場に提供していただき、毎日槙山を育てながら高野槙に一生を捧げるため、日々頑張っております。
精魂込めて育てた野迫川の「高野槙」をよろしくお願いいたします。
山田裕哉

野迫川「槙の匠」店主 山田 裕哉



高野槙(枝)

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